1955-05-12 第22回国会 参議院 社会労働委員会 第5号 警戒をしていたのでありますが、二十二年の一月に、ついにテロ思想容疑者として検挙せられまして、結局それは事実がなかったために、サボタージュ指導、スパイという罪名をもらって私は七年の刑を言い渡されました。二十二年の十二月に樺太を出てシベリアに送られました。途中中継所を経て二十三年の二月にカンスクという土地の、シベリア本線のイルクーツクから七、八キロくらい西であります。 山本藤平